The Last Stand of the Tin Can Sailors. 。クラウドに好きなだけ写真も保存可能。, タミヤ 1/350 艦船シリーズ No.30 日本海軍 戦艦 大和 プラモデル 78030, フィギュア・プラモデル・アニメグッズ・カードゲーム・食玩の商品は、メーカー都合により発売日が延期される場合があります。 Piececool 立体パズル 3Dメタルパズル 航空母艦 立体メタルモデルキット クラフト 3Dパズル メタリックナノパズ... フジミ模型 1/3000 集める軍艦シリーズ No.16 南太平洋海戦セット(翔鶴/瑞鶴/瑞鳳/彩色済み艦載機付き) プラモ... Piececool 立体パズル プラモデル 展示ボックス  長門型戦艦、扶桑型戦艦、大和型戦艦、金剛型戦艦、リシュリュー 戦... world Imp Motor 耐久性 固定力抜群! この商品を購入した、Amazonコミュニティーのメンバーである出品者、メーカー、またはカスタマーが質問にお答えします。, 有効な質問が入力されていることを確認してください。質問は編集することができます。または、そのまま投稿してください。, 的確な再現で長年親しまれている1/350大和がリニューアル。メインマストや艦尾の機銃座などは新規パーツ。艦橋上部の21号電探も繊細な彫刻で仕上げ。飛行甲板通行帯はステッカーで表現。別売りのディスプレイケースに手軽に固定できる展示台付き。(Amazon.co.jpより), 日本の造船技術の高さを世界に示した巨大戦艦「大和」は昭和12年11月に呉の海軍工廠で起工、昭和16年12月に竣工した。水線長256m、最大幅は38.9m、排水量約7万トンの巨体に口径46cmという巨砲を9門搭載。主砲の46cm砲は最大射程41kmにも達し、距離30kmで厚さ43cmの装甲板を撃ち抜く威力を持っていた。一方防御の面でも基準排水量の3割にもなる約2万1000トンの防御装甲板を使用。艦の全長をできるだけ短くし、艦橋や砲塔、機関部など重要部分を中央に集めた集中防御方式を採用して高い防御力を実現した。さらに、水面下の形状で特徴的なのが艦首部のバルバスバウ。3mも前方に張り出した球状の艦首はその他のくふうとあいまって造波抵抗を軽減。推進効率に優れた艦形を実現している。こうした技術が戦後の日本の造船界に遺産として受け継がれている。ミッドウェーやレイテ沖海戦などに参加、太平洋に君臨した大和でしたが昭和20年4月7日、天一号作戦(菊水作戦)による海上特攻部隊として沖縄に向かう途中、300機以上のアメリカ海軍機による攻撃を受けてついにその姿を海中に没した。, 第二次世界大戦当時、日本海軍戦艦「大和」のプラスチックモデル組み立てキット。スケール1/350。全長751.5mm、全幅110mmにもなるビッグサイズで作りごたえも十分。一体成形された船体は幅広くそり上がった艦首のシアーや大きく突き出したバルバスバウの形状など、独特なスタイルをリアルにモデル化した。艦橋や煙突をはじめ、艦体の中央部に集中配置された上部構造物を的確に再現。大和の持つ重厚な雰囲気まで味わえる。艦橋上部の2号1型電波探信儀やメインマストは繊細な彫刻で仕上げた。砲身基部の防水カバーもリアルに表現された45口径46cm3連装主砲塔。完成した砲塔は上から甲板に取り付けられる。60口径15.5cm3連装副砲や40口径12.7cm連装高角砲、25mm連装機銃などの兵装類もシャープな仕上がり。艦橋上部の信号旗ヤードも各ヤードの形状を忠実に再現。主砲砲塔、副砲砲塔、15m測距儀、艦尾クレーンは完成後も可動。後部の飛行甲板歩行帯はステッカーで表現。艦尾には機銃座も再現した。零式水上観測機と零式水上偵察機は各2機を用意。カッター4隻付き。別売の1/350ディスプレイケース(木製台座付)にビスで手軽に固定できる展示台もセット。, 新作おもちゃや人気のキャラクターグッズなど、クリスマスプレゼントにおすすめのおもちゃが勢ぞろい。, フジミ模型 1/700 艦NEXTシリーズ No.1 日本海軍戦艦 大和 (旧タイプ台座) 色分け済み プラモデル 艦NX1, タミヤ 1/350 艦船 No.16 1/350 日本海軍 戦艦 武蔵 78016, ハセガワ 1/350 日本海軍 日本海軍 戦艦 長門 レイテ沖海戦 プラモデル 40073, タミヤ1/350【究極の大和】セット /日本戦艦大和 専用ディティールアップパーツ6点フルセット付き *プラモデル組み立てキット*, ハセガワ 1/700 ウォーターラインシリーズ アメリカ海軍 アメリカ艦載機セット プラモデル 514, ピットロード 1/700 スカイウェーブシリーズ アメリカ海軍 空母 CVN-73 ジョージ・ワシントン 2008 プラモデル M47, フジミ模型 1/700 艦NEXTシリーズ No.3 日本海軍戦艦 紀伊 色分け済み プラモデル 艦NX3, トランペッター 1/200 アメリカ海軍戦艦 BB-63 ミズーリ 03705 プラモデル, アメリカレベル 1/72 PT-109 P.T. アルミ合金 マルチ バーホルダー バイク 自転車 兼用 凡用品 ハンド... 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Garzke, Jr. and R.O. パナソニックのバスルームをサイズから探すページです。1.5坪、1.25坪、1坪、0.75坪、マンションにぴったりのユニットバス、システムバスを探せます。 Manual is very clear, easy to understand what, where and when to do. ]、射撃方位盤故障がどの程度砲撃に影響したのかは不明である。, 武蔵の加藤副長付信号兵として第二艦橋に勤務していた細谷四郎兵曹によれば、武蔵が主砲を発射したのは昼食を食べ終えてからの最初の空襲で、午後1時30分 - 午後2時頃と証言している[328]。さらに一番砲塔に装填された砲弾が砲身内で爆発する危険性が報告され、「右砲戦方位90度、三万、各砲塔発射」命令が越野砲術長から出された[329]。細谷の証言によれば、午前中の空襲で主砲発射爆風被害と言われるものは副砲、午後には主砲爆風が含まれていることになる。, また、1944年(昭和19年)10月25日の対空戦闘について、大和の戦闘詳報には「後部主砲塔射撃のため、後部左舷所在の機銃員数名が火傷を負う」という記述があり、機銃に対する通報に齟齬があった要因が、射撃方位盤だけでないことも伺える、主砲射撃による爆音の中での、機銃群への迅速通達は容易ではないことから、3番主砲塔と後部機銃群との間に砲塔危険界通報装置の設置が要望されている。, 大和型戦艦の副砲は条約型巡洋艦、駆逐艦に対処するためのものだが、対空射撃には有効とは言い難く、副砲を全廃して両用砲に転換したノースカロライナ級やキング・ジョージ5世級の方が先進性があったと言われる。平間洋一の場合、米新戦艦に対して劣っていた旨を記述している[330]。海軍砲術学校防空部は、15.5cm砲を廃止して10cm高角砲に変えるべきという意見を提出している[331]。しかし、大和型2隻の戦闘詳報によると副砲は遠距離での雷撃機等の迎撃に有効であるとの記述があり、通説とは逆に日本海軍は副砲の対空能力を高く評価している。, 実際、仏独伊が大和型と同時期に建造した戦艦でも副砲と高角砲は分離されている。特に仏海軍では、ダンケルク級で一旦両用砲を採用したが、両用砲は平射砲としても対空砲としても能力不足という判定から、次のリシュリュー級で、再び高角砲と副砲に分離しているという事実はあまり認知されていない。現実にキング・ジョージ5世級の両用砲は、装填機構や砲の追従性の問題で対空射撃が困難であったと判定されている。ノースカロライナ級以降の米戦艦搭載両用砲(38口径12.7cm両用砲MK.28)は、対水上砲として考えた場合、有効射程が短すぎて、駆逐艦の雷撃を阻止できない可能性が多分にあり、能力不足と指摘されている[332]。第三次ソロモン海戦では同砲を装備した戦艦ワシントンとサウスダコタが日本軍水雷戦隊を迎撃したが、駆逐艦綾波を撃沈したのみで水雷戦隊の阻止に失敗し、雷撃を許している。合理的な両用砲だが、多くの海軍が採用しなかったのは理由があるのである。, 大和型の副砲は、充分な数の護衛艦を持てない劣勢な海軍(米英以外の全て)が、敵の水雷戦隊を「魚雷を放つ以前の距離で迎撃する」ための兵装である[131]。つまり12.7cm程度の小口径高角砲では、水雷戦隊阻止に充分な有効射程を持てないため、より大口径の副砲が必要という観点から配置されている。主砲を水雷戦隊の迎撃に使用する愚を考えるなら、分離は一理あるという説もある。実際、サマール島沖では、大和は近接した米駆逐艦ジョンストン、ホーエルに副砲で命中弾を与えたとの説がある。, しかし、上記のジョンストン、ホーエルともに大和の副砲が命中したのは可能性があるのは雷撃が実行された後であり、第三次ソロモン海戦でのアメリカ戦艦同様、雷撃の阻止に失敗している(特にジョンストンは副砲が命中した後も戦闘を続行している)[333]。実戦では大口径の副砲でも「魚雷を放つ以前の距離で迎撃する」事はできず、水雷戦隊阻止においての優位性が証明される事はなかった。, 「主砲塔直後に配置された第1・4番副砲は、大和型防御の欠点である」という説がよく語られる。完成前の武蔵に艤装員として勤務した千早正隆が指摘している[334]。概ね「副砲塔は25mmの装甲しか施されておらず、駆逐艦主砲の5インチ砲弾も防げなかった。従って爆弾や大角度での落下砲弾がここに命中した場合、砲爆弾は副砲弾薬庫に達して炸裂し、これが隣接する主砲弾火薬庫を誘爆させて轟沈する可能性を秘めていた。手直し程度の改善はあったものの、この欠点は最後まで解消されなかった。両舷への指向が可能という利点にこだわった設計ミスだった」というものである[335]。千早が副砲に関する懸念を山本五十六に訴えると、山本は「副砲を撤去して蓋をしておけ」と返したとされる[336]。また大和沈没の原因は、副砲付近で発生した火災が第三主砲弾薬庫に引火した結果だという説もある[337]が、これは後の海底調査の結果否定されている。, 大和型では、副砲塔そのものの装甲を妥協する代わりに、副砲の弾火薬庫を厚い装甲で囲まれた主要防御区画内に配置していたため、直接弾薬庫に貫通弾を受ける可能性は高くはない。また副砲塔と弾火薬庫の間に防焔扉を設置し、副砲塔に貫通弾を受けたとしても弾火薬庫に被害が広がりにくいように配慮された。副砲塔に過大な防御を施すと、高速の敵駆逐艦を撃退するため高い機敏性が求められる副砲の旋回性が失われる可能性があり、副砲塔そのものの防御には限界があった[338]。大和の設計に当たった松本喜太郎によれば副砲の防御は「砲塔と弾火薬庫との間に充分な防炎装置を設けているから」という考え方で進められたため、弾丸防御上の弱点になった旨を述べている[339]。, 副砲塔の装甲の薄さは懸念材料の1つであり、武蔵では、建造中に「副砲の装甲を主砲塔並に強化せよ」という申し入れが連合艦隊司令部からあった[340]。最も初期の低評価のひとつは艦隊に編入されてから[119]指摘されたものであり、これが改修工事に繋がっている。戦後最初期の指摘としてはオスカー・パークスが1949年に『ENGINEERING』誌に発表したものがあり、「この軽防御砲塔が設計上の弱点であるのを証明したのは驚くにはあたらない」と述べている[341][注 19]。, 防焔装置や副砲周辺の防御については設計の段階では充分とされていたが、完成直前となって用兵者側から防御力を強化するよう要望を受けた[342]。特に、中心線上に配置され、隣に主砲火薬庫がある第1・4番副砲塔を支える円筒の、露出した支筒下部に敵弾が命中した場合の問題点を指摘されたのである。この円筒は元々50mmCNC+25mmDSの装甲が施されていたが、28mmの装甲追加が行われた。この強化により射撃実験の結果、支筒下部は800kg爆弾の命中に耐えうるものとされた。さらに防焔扉の板厚を増し、中甲板の貫通部に不規則な形の防焔板を隙間なく装備した[343]これにより最上型軽巡洋艦に搭載されていた時よりも、総合的な防御力は強化されていた。なお武蔵は就役時までに、大和は就役後に副砲を一旦下ろして、この防御強化を行っている。, 副砲の防御が弾薬庫配置を含めて問題となるのは、他国戦艦でも同様だが、第一次世界大戦や、太平洋戦争での諸海戦の戦訓を見ても、防焔装置などで被害を局限できることは確かであった。現実に、大和型副砲塔と同様の防御形式だった日本重巡洋艦「青葉」は、サボ島沖海戦で第3砲塔に敵弾の直撃を食らい、砲塔内で装填中の零式弾と装薬が誘爆したものの、適切な弾薬庫注水により、それ以上の被害拡大を免れている。他の日本重巡も砲戦中に弾薬庫誘爆で沈んだケースは存在しない。第一次ソロモン海戦では、鳥海の1番砲塔に米重巡の20cm砲弾が命中し、砲塔員が全滅するも弾が砲塔を前後に貫通して艦への被害は抑えられたというケースもある。航空攻撃に対する被害はいくつか散見される。ミッドウェー海戦では重巡洋艦最上と三隈が砲塔に被害を受けた。最上は5番砲塔に直撃弾を受けたが、誘爆は起きずかろうじて生還した[344]。同日、三隈も空襲で3番砲塔が直撃弾を受けて破壊され、4番砲塔には被弾した米軍機が体当たりしたが、これらの攻撃は致命傷とはならなかった[345]。三隈沈没の直接の原因は魚雷の誘爆である。ラバウル空襲で重巡洋艦高雄が爆弾命中により一番砲塔装薬誘爆を起こし砲塔員が全滅するも、沈没は免れた。サマール沖海戦では重巡洋艦羽黒が空襲によって2番砲塔に直撃弾を受けたが、応急処置により戦闘を続行した。, また、艦中心線上への副砲装備は「主要防御区画の縦方面での長さを伸ばし、艦型の拡大を招いた」という、別の観点からの批判もある。, なお砲塔の構造は大別すると英国式と米国式に分類される。砲弾と装薬を同時に砲塔内に揚げる英国式は、機構が簡単で重量が軽いメリットがある。これに対し、砲弾と装薬を別に揚げる米国式は、機構が複雑で重量がかさむものの、被弾時の誘爆確率が低いという防御面のメリットがあった。米国式の砲塔を採用したのは、米仏独の戦艦と日本の大和型戦艦のみであり、それ以外の各国戦艦(長門型以前の日本戦艦も含めて)は英国式砲塔であった。, 建造当時の米戦艦の最大速力は20 - 21ノットであった。日本海軍は改装によって、長門型/伊勢型/扶桑型戦艦を25ノット、金剛型を30ノットに向上させていたため、部隊単位で優速であった。大和型の27ノットは、米新型戦艦が25ノットと見積もられていたために、これを上回る速力として承認されたものである。, だが、大和型戦艦が艦型の拡大を抑制するため、最大速力を約27ノットとしたことに対し「低速のため、機動部隊護衛などに使用できなくなり、失敗であった」という根強い意見がある[346][347][348]。この根拠には、下記が挙げられている。, 一方、佐藤大輔のように速力を27ノットに抑えたことによる悪影響、あるいは他国海軍に比較しての欠点は結果としてほとんどなかったという反論がある[346]。, 対戦国の同世代戦艦である英国のキング・ジョージ5世級戦艦は約28ノット、米国のノースカロライナ級戦艦は約27ノットであり、ほぼ同速であった。ノースカロライナ級戦艦は戦争中に対空火器の増設を行い、戦争後半には26.8ノットと大和型より僅かながら低速になった[352]。サウスダコタ級戦艦は、公式には27.5ノットだが、戦争中に対空兵装などの装備増設で排水量が増加して戦争後半には27ノットまで低下し、姉妹艦のアラバマは42,740トンのときに133,070馬力で27.08ノット、44,840トンのときに135,420馬力で26.7ノットを発揮したという[注 23]。大量の装甲板、砲塔、弾薬を搭載し、喫水の深い戦艦に高速力を要求するのは酷であり、それを達成した金剛型やアイオワ級はなんらかの設計上の妥協を強いられており従来からの巡洋戦艦の延長上の戦艦ともいえる。事実、アメリカ海軍のモンタナ級戦艦では6万トンの排水量に達し、速力も28ノットの計画に留まっている。イギリス軍最期の戦艦であるヴァンガード (戦艦)も30ノットの速力を発揮したが搭載できたのは38センチ砲であり、ライオン級戦艦は40センチ砲を搭載し28.5ノットであったが薄い水平装甲で済ます計画であった。それを考えると大和型の46センチ砲で、27ノットという設定は極めて妥当な判断と言うのが反論側の意見である[要出典]。, 速力一辺倒の考え方に対する疑問は1920年代の米海軍にもあり、元海将の高須廣一は「基地から遠く離れた西太平洋で戦う場合に重要なのは母港に帰り着く能力であり、速力を数ノット高く建造したとしても、そのような優位は決戦の最初の数分間で失われるかも知れない」と低速重防御思想を維持してきたが、仏伊で建造されつつある新世代の戦艦が30ノット程度を狙っていることを察知し、1935年の将官会議で自国の新戦艦に「高速戦艦」案として出力強化に重量を割くことを妥協し、27ノットの速力を要求した[353]。, その後建造されたアイオワ級戦艦はパナマ運河通行のために幅をしぼった艦型となっており、33ノットの速力発揮が可能な反面、横方向の揺動に対する安定性が低かった。現実に英国戦艦ヴァンガードと同行した際に、航洋性と安定性の低さが指摘されるなど、同級の運用上の問題点として挙げられている。こうした点において、武蔵は護衛する駆逐艦のスクリューが露出するような大型台風の中を航行しても、安定した航行を行ったと言われている。大和が1941年10月20日の公試で27.4ノットを記録したのも、駆逐艦が退避するほどの悪天候下だった[354]。ミッドウェー海戦では、長門型戦艦「陸奥」でさえ揺れるような嵐の中を、大和は安定して航行していた[355]。このように、大和型戦艦は米英仏独伊の新型戦艦よりも航洋性に優れた船体設計をしており、排水量においても大型のため、安定性に優れていた。従って海独仏伊の30ノット級同世代戦艦に対しても実質的な劣速はわずかと言える。, 太平洋戦争時の砲術学校の教範には「僅少な機動力の優位を最大限に活用して、極力敵との砲戦距離を詰めるようにする」と明記されており、日本戦艦部隊が米旧式戦艦部隊に対して持つ4 - 5ノット程度(25%程度)の速力差は、さほど優位をもたらすものではないと認識されていた[要出典]。日本海軍では、速力の優越で恒常的に戦闘を優位に進められる指針として、敵より50%以上の優越が必要だと判断していた。20 - 21ノットの米戦艦に対する、朝潮型・陽炎型・夕雲型駆逐艦の35ノットや、米新型戦艦が27ノット級であることが判明した後で、40ノットの速力を要求された島風型駆逐艦がその一例である。なお金剛型高速戦艦(や大和型戦艦の初期計画時、長門型戦艦の高速化計画)は、米旧式戦艦の20ノットに対する50%増の30ノットを近代化改装によって実現しており、戦艦であっても「できればその程度の速力差を得たい」と認識されていたことが伺える。, 現実には、少数の戦艦同士の戦闘においても、彼我の対戦姿勢によっては、丁字戦法の効果同様に発砲できない砲塔が発生することもあるため、射界と速力の有利は「できれば得たい」ものであった。しかし、戦例から見れば数ノット程度の優速は戦闘結果に影響しないと考えられる。, 実際に栗田艦隊ではレイテ沖海戦前に、今後の作戦で予想される夜戦に対し「大和型戦艦の速力27ノットは夜戦でも問題ないので、武蔵を旗艦にするよう変更してほしい」という要求を行っている[注 24]。このレイテ沖海戦では、本来なら30ノットを発揮できる金剛型戦艦「榛名」がマリアナ沖海戦による損傷が尾をひいて26ノットしか出せず、参加した日本海軍戦艦中で大和・武蔵より高速を出せた戦艦は 金剛一隻だった。, なお、低速のため空母機動部隊と随伴できないという批判だが、大和竣工時に日本機動部隊の主力であった赤城は31.2ノット(航空本部資料では30.2ノット)、同航する加賀は28.3ノットであり、正式空母に随伴する軽空母、改装空母や補給艦などはさらに劣速であった。機動部隊といえども、最大船速を出すのは艦載機の発艦時や爆撃や雷撃の回避時に限られており、大半の行動時には最低速艦に速度を合わせる必要があることから、大和型による護衛は物理的には可能であった。, そうしなかったのは虎の子の空母を中心とする機動艦隊を露払いとし、戦艦部隊を温存しておいて艦隊決戦で最終的に勝利するという、日本海軍の古い用兵思想が根底にあったからである。一方、米国においては、大和型と同等速力だったノースカロライナ級戦艦、もしくは大和型より低速だったサウスダコタ級戦艦が、米機動部隊に随伴して護衛任務を果たしている。, その後、マリアナ沖海戦の頃になって、初めて大和、武蔵が前衛部隊に配置され、空母3隻を護衛するようになったが、そのころには機動部隊は大半の正式空母、航空機と優秀な搭乗員を喪失しており、航空機や対空兵器の物量と技術力の差も明らかとなって効果を上げることができなくなっていた。[注 25][注 26]。, 一般的には27ノットが定説であるが、箇条書きすると、次のような記録が伝えられている。, こうした記録から、短時間であれば過負荷全力時に28ノット台を発揮できたことは、間違いない。大和型戦艦は基準排水量64,000トンの巨艦にも関わらず、機関出力は150,000馬力と他国35,000トン型戦艦と大差ないため、28ノット台の速力が出せたことを疑う向きもあるが、2乗3乗の法則によれば長さや幅が倍になったとすれば重量は8倍なるが抵抗は4倍に留まる。よって、35,000トン級戦艦の約2倍の排水量を持つ大和型は1.5倍の馬力で同程度の速度を発揮できるということになる。実際には造波抵抗が速度によって増加するため、艦長が長いほど高速になると有利となる。, また、大和型戦艦はバルバス・バウの採用や船体形状の研究などで15,820馬力節約したという記録が残っている。大和の過負荷全力である167,310馬力+15,820馬力=183,130馬力であり、当初計画が多少縦横比の長い状態で20万馬力、30 - 31ノットであるから、28 - 29ノット台が出ても不自然な数値というわけではない。, また、日本の軍艦は燃料・弾薬・水・食糧などの消耗物資を満載した状態で出撃し、一定距離を航海して戦闘に入る直前を想定した状態(いわゆる公試排水量)で出せる速力を最大速力とするが、物資の搭載量が少なければ、これより大きな速度を出せる。例えば駆逐艦島風は公試試験の際、燃料・水等を2/3ではなく海軍がより実用的と考えて改正した新基準により、半分しか搭載せず出した数値である40.9ノットが最高値となっている。, 大和はレイテ沖海戦時には、第五戦速26ノットで2時間39分走っているが、これを上回る最大戦速で1分間、一杯で9分間走っている。つまり、この時点では28 - 29ノットを発揮していた可能性は充分ある。ただし、機関部の通風能力が不足していたため、特に南方での作戦での高速発揮時は、機関部内が耐え難いほどの高温になっていたとされている。, なお、他国でも独ビスマルク級戦艦の一般的な速力は29ノットとされているが、機関過負荷120 - 128パーセントで30.8ノットを出したほか、伊戦艦ヴィットリオ・ヴェネト級は30ノットの計画に対して各艦31.2 - 31.4ノット、仏戦艦リシュリュー級は30ノットの計画に対し32ノット以上、英戦艦ヴァンガードも30ノットの計画に対し31.57ノット、キング・ジョージ5世級も27.5ノットの計画に対し29ノット、米戦艦アイオワ級は33ノットの計画に対して1968年3月にニュージャージー(BB-62)が35.2ノットを発揮した記録が残っているなど、大抵の戦艦は短時間であれば過負荷全力時に計画速度を上回る速度を発揮できる。逆に、晩年のアイオワ級戦艦は船体・機関の老朽化により速力が低下したという記録も残っている。, そして、船一般に言えることだが数万トンの排水量の船になると、水温が0.5度違っても同じ体積の水の重量(つまり抵抗)が大きく変わり推進器の性能などにも影響し船のスピードは違ってくる。従って軍艦の最高速度は目安でしかないことに注意する必要がある。, 日本海軍は大和型戦艦を戦艦部隊の中核として位置付け、艦隊決戦のために温存する方針であり、開戦当初は機動部隊護衛に用いることは考慮していなかった。戦艦の使用は主砲火力の発揮できる決戦局面で行うべき、というのは当時の日本には「現実的」な判断だったとされるが、平間洋一はミッドウェー海戦ではこれらの判断が裏目に出たことを批判的に指摘している。大和型戦艦の無線送信能力は、軍令部より500浬を要求されており、鐘楼やマストも空母より高い位置に展張出来、通信能力に優れていた。またミッドウェー海戦時には連合艦隊旗艦であったために、優秀な通信班を乗せていた。平間によれば、作戦前の研究会にて、この点に着目し、赤城と共に行動させるべきという意見が出ていたと言う。, 実際海戦中、大和が傍受し、南雲機動部隊が傍受できなかった敵機動部隊の呼び出し符丁があった。もし大和が機動部隊の護衛部隊として行動を共にしていれば、傍受した通信を視覚信号で通報し、敵機動部隊の存在をより早く察知出来たのではないかと指摘している[359]。, 上記のように戦艦の性能上重要となる搭載砲のプラットフォームとしての安定性においては、大和型戦艦は最高レベルと思われるが、反面、燃料消費量が多かったことも問題であった。単に機動部隊の護衛として用いた場合は、大和型を含む日本艦艇の対空火力はそれほど強力でなく、また日本海軍は慢性的に燃料不足で行動が制限されていた。ガダルカナル戦では、大和型戦艦や長門型戦艦の陸奥がタンカーの代わりをしていた事実がある。レイテ沖海戦では大和など戦艦から駆逐艦戦隊への給油が行われていた。, 山口多聞提督が奨励していた輪形陣は戦艦を含んでおり、攻撃機パイロット淵田美津雄も空母よりも戦艦が通信能力に優れる点、そして、敵勢からの攻撃を分散させ、その重厚な防御力によって攻撃を吸収することで空母の盾になりうると考えていたが、日本海軍の主たる用兵思想では無かった[360]。, 「建造時に航空攻撃を考慮していなかったので撃沈された」という説が見られる。しかし、同時期に建造された空母・空母艦載機や陸上攻撃機の想定戦術から見ても、当時は機動艦隊による航空勢力が戦闘の中心となることは予想されていなかった。